心を澄ませ!「南沢奈央の読書日記」想像が聴かせてくれるラジオ「傲慢」なのか「寄り添うこと」なのか。
毎週金曜日に更新していて、いつかブログを書きたいと思っていた。私は読書も読書感想文も嫌いでブログしようと何回かチャレンジしたが、私にはとても難しく今回も書き切れるか心配だ。
しかし、今回は「無理をしてでも時間がかかってでも書きたい!」そう思わせてくれた。
もうこれだけの文を書くだけで、1時間以上かかってしまった。
最初から自分にとって衝撃的だった!
忘れてはいけない、風化させてはいけない!(省略)これは、誰に向けての言葉だろうか。どんな気持ちで言葉にしているのだろうか。きっと自分への戒めの意味が一番大きいのだと思う。
この文を読んだとき、「誰に向けての言葉なのか」について考えたことが無かった。ましてや、この文を読んで「確かに忘れてはいけないなぁ」とも「いーや、忘れても良いんじゃないか」とも思わなかった。
私はこのことに関してだけではなく様々なことに対してただ無頓着だったのかもしれないことに気付かされた。凄く後悔した!
後で、この文を辞書を使いながら再度読み返してみた。
時が進む限りは忘れる、風化することを止めることは出来ないだろう。しかし遅らせることはできる。みんな頭では分かっているだろう、だから忘れないように声に出すのだと改めて読んで理解できた気がした。
「戒め」とは
禁を犯したり、失敗したりすることのないように前もって注意を与える。
この意味を知った。
この人たちは忘れたり、風化することに凄い危機感を持っているようだ。
この時点で気付いてしまった。あぁ、まだ文章が他人目線になっている。まだ私は芯まで考えられていないようだ。凄く悔しい。もっと普段から考えるようにしようと改めて反省させられた。
ほんの2、3文読んだだけで自分の愚かさや人間の儚さや無念さなど学ぶこと知ることが出来た。
最後まで、この日記を読み直した。
本当に難しい。
想像ラジオ いとうせいこう ハードカバー ¥1,512 文庫 ¥486
東日本大震災を背景に生者と死者の新たな関係が描かれている。
この本を読んでの新たな気づきや思いがこの日記に書かれてあった。とても勉強になった。もしこれ読まなかったら、「想像ラジオ」を聴こうとすらしなかっただろう。
聴こうとして初めて私は想像することを拒否してしまっているのだと気づかされた。
「何故聴こえないのか?」「もしかしたら実は聴こえてるのじゃ。」いろいろと考えさせられた。次第に「想像」とは何かとまで思うようになってしまった。ホントこの2,3日日は考えた。
「想像のラジオ いとうせいこう」が読みたくなった。気づいた時には「想像のラジオ」について調べていた。
その時「突然に、何の落ち度もないのに命を失った人たちの声。これが聴こえるというのが傲慢なのか聴こえるということが、死者と寄り添うことなのか、読み終わった後も答えがでない」と書かれたコメントに出会った。
その時は、ほんとうにその通りだと思った!しかし、想像しようと(聴こうと)すらしなかった私は答えがで無くて当たり前だった!
この日記そして「想像ラジオ」に出会って何度も何度も考えさせられた。おそらくすべては理解できていないと思う。問題定義以前の問題が自分にはあると気付くことも出来た。
〈参考リンク〉
南沢奈央の読書日記 8年分の想像
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